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立川志の輔独演会 [田舎暮らし]

今日は立川志の輔、独演会に行ってきました。
友達の高校の先生が、当たったから行こうと誘ってくれたのでした。

とにかく、文句なしにおもしろかった。
笑いっぱなしの2時間。
毎年山梨には来ているようですが、1500人くらいのお客さんが入ったとか・・・。
お正月にはパルコ劇場で、30日間独演会をするそうで、
そちらも行ってみようかな?
http://www.shinosuke.com/index.php

さて、カーテンコール
の時に話されたこと、印象的でした。

落語って言うのはですね、お客さんがいなければただの独り言でして、 お客さんがいるから成り立つんですね。「落語をやる」っていいますけど、落語は お客さんの頭の中にある・・・一人一人違うわけですね・・・


まさに話芸、人と人との間の芸だなぁ。

授業も、そうか?

脳に悪い7つの習慣 [アドラー心理学]



「だめレッテルを貼ってはいけない(ヨイだし)」
「共同体感覚」
ポジティブ ディシプリン」
「相互尊敬 相互信頼」
「目的論」
「勇気づけ」
ライフスタイル
「内発的動機付け」

これらのアドラー心理学や、それと密接に関わりのある重要な概念は、
エピソードとしてそれらの実在や効果が確認されてきた。
ひとたび、上のような概念を腑に落ちるまで理解し、それらを通して世界を眺められるようになると、
困難に立ち向かう活力(=勇気)が湧いてくる。

そして、論より証拠、エピソードとして実証することに意義を感じていたアドレリアンは、
自然科学的な実証にあまり重きを置かないできた。
「やってみればわかる。」
「うまくいくのだから、それでいいでしょう。」
「良いと思う人が使えばいい。」

しかしそれらを、脳科学の視点から実証してくれているのが
「脳に悪い7つの習慣」林成之(幻冬舎新書)である。
筆者がアドレリアンであるのかどうかは知らない。
しかし、アドラー心理学の中心概念であり、もっともわかりにくい
「共同体感覚」を我々アドレリアンは、脳科学の視点からも説明できる
ことを知っておくのもいいかもしれない。
ちなみに目次をあげる
「興味がない」と避けることが多い  ・「自分さえ良ければいいと」思ってはいけない 「嫌だ」「疲れた」とグチを言う いわれたことをコツコツやる 常に効率を考えている やりたくないのに我慢して勉強する めったに人をほめない


ジョセフ ペルグリーノ博士のセルフモチベーションの研修に参加した。
行動がセルスイッチであると感じた。
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なぜ、いい加減にやるのか? [教室]

課題に対していい加減にやったり、ふざけてやったり、また、そもそも取り組まなかったりする
そんな子どもが多くなってきた。

なぜいい加減にやるのか?


今日も数名の子どもたちと囲碁大会に行ってきた。
全員入門クラスだが、
2人の子どもが、いい加減、ちょっとふざけた感じで打っていた。
「そんなにいい加減でやる気がないのならやらないでよろしい。」
と一括してもいいところだが
その子たちがなぜいい加減に取り組んだかを考えた。

なぜか

理由は簡単である。負けた時のいいわけをつくるためである。

「僕だって本気でやれば強いんだ。でも本気でやる気しないし・・・」

一生懸命打って、負けたとき、その責任は全部自分にかかってくる。
その責任に耐えられないのである。

ではなぜその責任に耐えられないのか。


勝たねばならないと思っているからである。
失敗してはいけないという、完全主義が
彼をいい加減にする。

アニメ「ヒカルの」で佐為(さい)
が「負けた碁でも一局一局が、ヒカルの力になるのです。」
とヒカルを勇気づける。

失敗を恐れないのではなく。
もちろん、失敗を慰めるのではなく、
失敗から学ぶことを教えることが、勇気づけである。

机の上を散らかして、仕事ができないいいわけをしている自分を
鏡で見る。
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読書感想文はどうして書くのか?(読書感想文コンクールって・・・) [教室]

読書感想文はたいてい夏休みに課題として出され、
ほとんどの小学生が保護者のチカラを借りて書いてくる。
コンクールの形式なので、その中からよいものを選ぶわけだが
「保護者の」書くチカラを見ているようで、むなしさを感じるときがある。
あらためて

「何のために読書感想文コンクールはあるのか?」

本に親しませるため?

この目的を読書感想文コンクールが果たしているかは大いに疑問である。
確かに
課題図書は確実に売れるだろう。
読まれるだろう。
しかし、それだけである。誰も課題図書を「買ってほしい!」
とねだる子どもはいない。コンクールに参加する(させる)ために買うのである。
課題図書に選ばれると、売れる。
しかし、課題図書に親しみを感じ、
愛読書として何度も繰り返し読む子どもはほとんどいまい。

そればかりか
読む力がついていない子どもにとっては
強制的に読まされ、読んだだけではすまず、感想まで書かされる。
ますます本嫌いになっていく。
無理矢理書かされた感想文は選ばれることもない。
選ばれる感想文は親の書いた感想文である。
最悪。
読書感想文コンクールは、本嫌いを増やす。


2,読解力をつけるため
 
 読んだ本の感想を書くとなれば、確かに読解力がなければ
書くことはできない。しかし読書はトレーニングではない。
読書の目的は読書である。読解力が先にあり
読書が後からついてくる。

 読解力は今ある力で十分読みこなせる本を数多く読むことで身についていく。
知らずに、難しい本も読めるようになっていくのである。
年に一度の読書感想文コンクールに参加しても読解力は身につかない。
読むことに対する劣等感を植え付けるだけである。

3,本を通して親子の交流が生まれる

生まれない

タイトルを書くだけでむなしくなる。親子関係が悪くなるだけである。
もちろん
中には本を介して親子の語り合いが生まれる家庭もあるだろう。
いや、
生まれるのではない。そういう親子は元々そうなのだ。

読書感想文コンクールは親子関係改善には全く役に立たない。


では何のために読書感想文コンクールはあるのか?
そもそも、読書感想文はどうしてかくのか?




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